“美しい”と感じるとは,いったい何なのであろうか。各時代の芸術家に問い掛けられた疑問であろう。
画家はその“美しい”という概念の中で視覚を通して感じるものを追及しようとする。
視覚とは明らかに脳で感じているものであるが、
視覚を通して感知できるものはその数パーセントであろうと思う。
たとえば本当に美しいものを見たとき鳥肌が立ち思わず息を呑むといった感覚、
瞬きを忘れてしまうように、ふと 我に返るような感覚を経験したことがある。
あの感動はただ目で見ただけとは思えないものがある。
例えば宝石を見たときその石が美しいというよりその石の光の屈折が美しいのだろうか、
それだけではないように思える。やはりその石が放ってる何かを感知しているのではないだろうか。
私は以前作品が完成したときに小さな鉢植えの花を見たときのことを思い出す。
そのとき絵を描くことをやめたくなるほどショックを受けたことを覚えている。
“赤”という色がこれほど違うということを認識せざるを得なかったからである。
それからというもの,“見る色”から“感じる色”へ意識が変わっていった。
人は,目を閉じていても色を感じているのである。
厳密にいうと色を認識させている光を感じているのであろう。
科学的な実験でも、赤や、青の部屋の中での人体の反応は明らかな反応を示すように
人は目を閉じていても体全体で光を感じているのである。
蝶々の羽はなぜ光を放っているのか、スミレの紫はなぜ輝いて見えるのか、
精神を感覚に集中して見ることに徹したとき、スミレの花の周りに虹色のような光が見えてくる。
人の周りにも見えるが、コンクリートやプラスチックには見えない、
天然の木や石にはあって人口のものにはないあの虹色の光のようなものを
人は美しいと感じるのではないだろうか。
人が作り出すものには必ずといっていいほど好き嫌いというものがあるが、
見事に染まった夕焼けを見たときに美しいと感じない人がいるのだろうか。
本当に美しいものとは偏見や説明をみごとに超える。そこには黄金率の存在があるのだろう。
そんなものは人には作り出せないと思いながら,また作品を描いてゆく。
ずっとこれの繰り返しをしながら挑戦してゆくしかないのであろう。
Akira 
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